ギターフリークスを頑張る。

ギターフリークスで気づいたことをつらつらと書いていきます。気づいたことがありましたら、お気軽にコメントか、@atakamokamoまで

涙はゲームの価値を語る。

先日、ゲームできるPCを買いました。

 


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友達と相談して決めたPCで、コスパの鬼みたいなPC買ったので、もし気になる人いたらぜひどうぞ。

https://www.dospara.co.jp/5shopping/detail_prime.php?mc=9294&sn=0

買った理由は、「ストリートファイターで感動したいから。」

 

…………いや、勢いで動きすぎだろ!と自分でも思う。

格ゲーって昔からやってる人が多いし、新しく始めるのはちょっと……と思う人もいるだろう。

でも、このツイートを見て、僕の心はめちゃくちゃ揺らぶられた。

「このゲームのことをもっと知りたい」と思ったんだ。 

 

世の中には、ゲームはくだらないものだと言う人もいる。

もしかしたらそういう人たちにとっては、本当にくだらないものなのかもしれない。

でも、世の中にはこんなにゲームに真剣な人たちがいる。

真剣な人の背中を見ていると、「くだらない」なんて僕は言えない。

ゲームはこの人たちの人生そのものだ。人生に向き合ってゲームしている人のプレイが、人の心を動かさないわけがない。

 

僕は、「涙」というものの価値を知っている。

涙は、自分にとって大切なものにしか流せない。

この人達にとってのゲームの価値は、この美しい涙が示している。

 

僕はこの涙を見て、このゲームのことを知りたくなった。

最終的にプレイヤーとしてトップになれなくても、きっと無駄にはならないと思う。

僕の人生をもっと豊かにしてくれると信じて。

 

ガチの初心者が言うと逆に説得力がある。

誰か一緒にやりましょう。笑

http://www.capcom.co.jp/sfv/sp/product_cedetail.html

判定調整?俺はするよ。

こんにちは。ご無沙汰してます。

昨日久しぶりに上手かったので、ちょっとうれしくてブログ書きます。

 

1,一ヶ月のスランプ

僕はゲームの判定の変化に割と敏感な方だ。

一方で、上手い人の中では結構な数、「自分が判定に合わせに行く」って言うスタイルの人もいる。

やっぱりうまくなるためにはそういうスタイルが大切なのかなと思って、自粛明けからの1ヶ月程度、判定調整を変えずにハイスピ・シャッターとかを調整することで自分から判定に合わせてみるチャレンジをしていた。

この一ヶ月はだからめちゃくちゃ調子悪くて、結構辛かった。

 

(自分の主観で仮説だけど、プレアンの天泣が更新された日からファストの出やすい判定に変わったという前提で話を進めます。)

 

ファストが出るからって無理やりシャッターを下げると、動体視力が追いついてないので普通の単発で切れたり、早め長めの運指が降ってくると認識が間に合わず押しつぶされることが多々あった。

というのもこれは、僕の認識方法がほとんど「ブロック認識」なことに由来すると思う。これは縦認識に近いやり方で、譜面の前後のつながりを理解するのがとても大切だ。

僕はそのやり方を「文脈を読む」みたいなものだと思ってるんだけど、譜面のコンテクストはハイスピが遅め(シャッター上げめ)の方がよく見える。シャッターをむりくり下げることによって、そういった丁寧な認識がおろそかになってしまったのではないかと考えている。

 

また、無理やり見た目のハイスピをあげることによって、左手のボタンを押すタイミングが遅れていたように思う。ギタフリは繊細なゲームで、左手が右手よりちょっとでも遅れるとミスになる。そういう状況でプレイしていると、常時「遅れている左手に合わせて右手を少し遅らせる」必要がある。

言葉にするとめっちゃ難しそうだけど、言うほど難しいことじゃなくて、意外とできる。ただ、それをすることに脳の処理能力の20%くらいを常時使っている感じになっていて、それが違和感の原因の2つ目だったと考えている。

 

,脳の100%を使って音ゲーしよう

まぁそんな感じでずっとめちゃくちゃ調子悪くて、ずっと脳の神経が詰まってるような間隔だったんだけど、昨日思い切って判定調整をプラス1からプラス2にしたら、かなーり調子良くなった。

シャッターを上げることでちゃんと認識するようになったし、何より何も考えずにボタンを押さえて弾くだけでコンボが繋がるようになった。判定が合うって言うのは「何も考えずに光る」ていうことなんだと改めて思った。

 

適切なハイスピ論とか、判定調整の是非とかを聞いたことがあるけど、結論は人それぞれの正解があると思う。(あたりまえ)

冒頭で上げた例である「自分で判定に合わせに行く人」と「判定調整を自分に合わせる人」は、実際どっちのタイプも存在している。

それはどっちが優れているとかではなくて、どちらも自分にとっての「何も考えずに光る」環境にいるから問題ないんだろうなと勝手に納得した。

 

(余談だけど、やっぱり自分で判定に合わせに行く人は、おジャマがかかっている状態というか、負荷がかかっている状態でも上手にプレイできる、という意味では環境に左右されにくいので、大会や一発勝負などの繊細な場面では優れていると推測できるので、究極の話になるとやっぱりそっちのほうが優れてるかもしれない)

 

今回の結論

「何も考えずに光る」なら判定調整は不要。

「何か工夫しないと光らない」なら判定調整したほうが快適になる。

 

今の自分の中で「プレイ中は何も考えるな」って理論がアツいので、今度時間あるときにそれについて書こうかな。

きらめきを大切に。

ブログのテーマは、だいたい生活していて「ピン!」と来る。

だいたい30字くらいで疑問が浮かんで、50字くらいの答えが思い浮かぶ。

 

みんなも、ちょっと真面目なツイートを考える時はこんな感じじゃなかろうか。

僕はそんな感じで日記を書くのも結構好きで、素朴な疑問とかをちょちょっとまとめたり、ノートに落書きしたり、よくしてる。

 

こんな感じのブログの種を、ブログの記事に膨らませる行為が、まぁ難しい。

 

前提となる知識を共有しないといけないし、主張の根拠もたっぷり足さないといけない。誤解を招く表現は変えないといけないし、誰かを傷つける表現は削らなきゃいけない。具体例も考えなきゃいけないし、結論はわかりやすく書かないといけないし、章の順番も考えなきゃいけないし…やっぱり文章量が単純に増えるので、足したり削ったりの作業も単純に増える。

そんなふうに悪戦苦闘して文章を膨らませながら、同時に一本の背骨を作って主張をしなきゃいけない。僕は一生きれいに整った文章は書けないと思う。

 

とにかく、誰かに何かを伝えたいと思って文章を作ることは、すごく大変だ。時間も、体力も、心のエネルギーも使う。

ただ、その消費する心のパワーは無駄じゃなくて、何かを伝えようと心を砕けば砕くほど、その文章は魅力的になる。

別に文学的表現が使われてなくても、頭の良さそうな文章でなくてもいい。

心を砕いたその欠片が混じってさえいれば、キラキラとした文章になる。

 

みんなも普段のツイートとかする時に、ちょっと心を砕いてみてください。

文章に心を溶かし込む。読んでくれる人のことを考える。ちょっと不格好になっても、きっとあなたの心は、誰かの心を動かすはず。

キラッとした文章が、タイムラインに増えますように。

不正はギタドラのガンだ。

僕は代行とか多人数とか、そういう不正行為がキライだ。

今回は「なぜ不正行為が悪いのか」について論じようと思う。

 

最初に断っておくが、この記事は不正行為をしている人向けに、やめなさい!と書いたものではない。

そういう人たちには論理が通用しないので、何を言っても無駄だ。

誰のために書いているかというと、「ギタドラが続いてほしいと思っているプレイヤー」に向けて書いている。この記事を通じて、少しでもギタドラに漂う退廃的な空気が変わればいいなと願っている。

 

・なぜ代行などの不正行為が悪なのか

1,プレイヤーの減少につながるから

根拠となるデータがなくて申し訳ないけれど、こういった現象は間違いなく起きていると思う。

僕はmaimaiのトッププレイヤーが犯罪を犯したというニュースを見てmaimaiのイメージが下がった。もちろんプレイしている人を否定するつもりは無いし、maimaiをプレイしているいい人がたくさんいるのは確かだ。ただ、僕が人生でmaimaiを遊ぶことは無いだろう。

僕と同じような理由でmaimaiに悪い印象を持っている人もたくさんいるだろう。逆に、ギタドラも「不正行為が人気のゲームでしょ」という認識で嫌う人もたくさんいるだろう。ギタドラにとって、そういったまだプレイしたことのない人たちに悪いイメージを植え付けられることは、プレイヤーの幅を広げる障害となる。それは立派な不利益だろう。

 

2,他のプレイヤーを否定する行為だから

代行する人たちの立場に立ってみよう。彼らは自分たちの不正行為が正当な行為だと考えている。

彼らの典型的な言い分は、「ゲームなんて自己満足だからいいだろ」というものだ。確かにゲームは自己満足で、楽しみ方は人それぞれの自由だ。

それは少数派だからといってないがしろにされる権利ではない。だから、不正に対して「俺が気に食わんからやめろ」という批判の仕方は、的を射ていないと僕は考える。

 

「ゲームの楽しみ方の自由」、それは「表現の自由」と似たようなものだ。表現の自由は「表現の無制限の自由」ではない。「他者の人権を侵害しない範囲で」自由を認められている。

「自己満足だから代行しても俺の勝手でしょ」という言い分は、自分だけでゲームを楽しんでいるなら確かに成立するだろう。しかし、代行でランキングに入ったり、お金を儲けたりすることは、他のプレイヤーが上達のためにゲームすることを否定する行為に他ならない。

人権なんて大げさなことは言えないけれど、「普通のプレイヤーが普通に楽しむ行為」を邪魔することは、公益性を妨げていると言えるだろう。

  

3,プレイヤーあたりの単価を減らすから

また、代行でサクッと高スコアを出してもらう行為は、代行してもらった人がそのスコアを出すまでにかかるクレジットを節約していると言える。その節約した分を、代行業者は手数料として貰っている(と認識している。)

それは、ゲームセンターやゲーム会社に対するインカムを減らす行為である。

 

・結論:不正はゲームのインカムを減らす行為だから悪 

結局売上というものは「客の数×客単価」で成り立っているわけであり、客の数を減らす効果も、客単価を下げる効果も持っている不正行為は、そのゲームのインカムを減らす行為に他ならない。

ゲームのインカムが減れば、そのゲームはサービス終了に一歩近づく。そういったことの積み重ねでゲームは良くも悪くも変わっていくと僕は考えている。

 

不正行為で楽しんでいるのはほんの一握りのグループで、そのグループが内輪ノリの悪ふざけをしている場合がほとんどだ。そのグループがもたらすインカムと、クリーンなゲームがもたらすインカムを比べれば…どちらに正当性があるかは明らかだろう。

 

・さいごに

最後になるが、僕が一番キライなのは「ギタドラは不正があってこそギタドラだ」という人たちが一定層いることだ。

確かに彼らもギタドラプレイヤーで、その楽しみ方にとやかく言うことは難しいと思う。

ただ、「不正もギタドラの一部」という空気が蔓延していることも、上に述べたゲームに対する不利益の原因だ。ギタドラというコンテンツを、そうやって身内の悪ノリだけで食いつぶしてしまうのはもったいないし、サービスが終了したらみんなの不利益だ。

 

不正を無くそうと、個人で活動することは不可能だろう。

だから、一人ひとりが「不正は誰のためにもならない」という認識を持って振る舞う。それ以外出来ることは無いだろう。

そろそろ、「不正はかっこいい」みたいな小学生並の感覚は卒業しようぜ。

 

運指オルタ入門

こんばんは。あたかもです。

ブログもネタ切れ気味…ということで、今回は、ギターフリークスの応用技術である「運指オルタ」について解説していきたいと思います。

 

今回の記事の対象読者はは銀ネームくらいから虹ネームまでを想定しています!難しすぎたり、簡単すぎたりしたらすみません。

 

運指オルタはギターフリークスの醍醐味とも言える技術で、出来た時の気持ちよさは半端じゃないです!

よければぜひ最後まで読んで、みてください。

 

1,運指オルタとは?

運指オルタと最初に言い出したのは誰かわかりませんが、運指オルタとはズバリ、「運指」と「オルタ」を組み合わせたもののことです。

 

では運指とは何か?

「運指」とは、左手で押さえるボタンが一つずつ変わるパターンの譜面のことです。ほとんどのギタフリの譜面に見られる特徴で、下のようなものがあります。

 

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ルックス EXT-G(BPM175)

(以下譜面は手書きです、すみません)

 

一方、オルタとは早いフレーズを、右手を上下に動かすピッキング(オルタネイトピッキング)で弾く技術のことです。代表的な例として、Time piece phase Ⅱのベースなどが上げられます。

 

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適当



運指オルタはその組み合わせです。つまり、「右手はオルタ、左手は運指」というふうに組み合わせて弾くことを運指オルタと呼んでいるのです。

運指オルタの例として、For reason of Fear MAS-Gを挙げておきます。

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No Reason of Fear MAS-G (BPM132の16分)

 ここで触れておきたいことは、「運指オルタと運指の違いはBPM(そしてそれに対応するための右手の動き)の違いしかない」ということです。

No Reason of Fearも全てダウンで取れば運指!ですし、ルックスも全てオルタで取れば運指オルタ。

聞いた話だと、世の中にはGIGA BREAK(BPM135の16分)までダウンで取った人がいる…らしい。信じられませんが。

 

 

つまり、「左手は普通の運指と同じ。右手だけオルタの動きをする」ということ。

そう考えると簡単に見えるのですが、実際にやってみて「出来ねーよ!」となった経験のある方も多いのではないでしょうか?

僕も覚えがあります…笑

でも、どんなミスにも原因があります。そこを意識して練習すれば、すぐに出来るようになります!では、次にどうして出来ないのか?その理由を考えてみましょう。

 

2,運指オルタでミスが出る2つの理由

運指オルタでミスが出る時、そのミスの原因として考えられるものは下の2つです。

1,右腕が上下するので、リズムが取れなくなっている(右手由来)
2,左手の運指が間に合っていない(左手由来)

当然ですが、右手と左手がしっかり噛み合っていたらミスは出ません。どちらに原因があるのか?まずは自分のプレイを分析しましょう。

参考として、右手由来のミスをしている時は、リズムがわからなくなっている→グレやOKなどのパフェが悪くなる症状も出ている可能性が多いです。(奇数個のミスが出ている場合もある)

一方、左手が間違えている時はパフェ率がそこまで落ちない事が多いです。

理由は、精度自体を判定する右腕は間違っていないので、ボタンを押し間違えた分のミスしか出ないからです。

 

それでも原因がわからない場合は、キービームをオプションで見えるようにして(ダークのオプションを解除して)自分のプレイの動画を撮ってみましょう。

スローモーションで見ると、自分のミスの原因がどちら側の手にあるか、一目瞭然です。

 

(補足:ギターフリークスは普通にコンボを切ると偶数個のミスが出ます。正確な原因は分かっていませんが、僕は「本来のノーツが押されていない」ことと「間違ったボタンを押さえてピッキングしている」ことの二回分を重複してカウントされていると認識しています。

奇数個のミスが出る時は、ピッキングが足りなかったりして見逃しのミスが一つだけ出る場合です。)

 

さて、原因が分かったところですぐ出来るようになるかというと、そうは行かない。

やはりミスは反復練習を通じて矯正していくしかないです。なので、僕は「何を意識したら右手(左手)の動きを意識できるか」について書きます。

 

3,左右の腕を意識するために気をつけるべきポイント

右腕を意識したいそこのあなた!

まずは右腕を正確なリズムで動かしましょう。

自分はどのように動かしたら拍が取りやすいのか?それは人によって様々です。自分にあったリズムキープの仕方を覚えることが、上達の近道です。

 

僕の場合は、表拍がダウンで取れないとリズムキープが上手く行かず、リズムが狂いやすいです。

裏拍から始まるオルタが多い曲の場合、僕はリセットを多用するのですが、まずは!表拍から始まる短い運指オルタを練習しましょう。

 

短い運指オルタとは、8分の間に16分が混じっているもののことです。

例えば、SAY 赤B スパ乱MITATION TOUCH 赤G スパ乱などが挙げられます。

また、S乱をあまり使わない人でも、いろんな曲のちょっとした16分の運指で、普段スキル狙いしている時はダウンでとっているような部分を、オルタで取ってみるなどもいい練習になるでしょう。

 

さて、左手の動きを改善したいそこのあなた!

これはギターフリークスに一生つきまとう難しい操作で、僕も早いものはまだまだ出来ません。

しかし、遅いものについてはいくつかアドバイスがあるので、書いて行きます。

 

まずは、タッチを軽くすること。

ギターフリークスはボタンの「オン」だけでなく、「オフ」も判定されます。

「オン」とは、指定されたボタンを押すこと。そして「オフ」とは。指定されていないボタンを離すこと。

初心者の方にありがちなのは、「オフ」がなかなか出来ずに押さえっぱなしになってしまい、運指オルタが出来ないという症状です。

そこで、「オフ」を意識するためにボタンを押さえる力を弱めることが有効だと僕は考えています。

オンオフの切り替えを指先で行い、指をあまりバタつかせない。これが1つ目のコツです。

 

そしてもう一つのコツが、「粒を一つ一つ認識して指を動かす」です。

ギターフリークスは縦にノーツが並ぶことが多い性質上、縦認識になりやすいです。

直線オルタを認識する時、「ブロックごと」に認識している人も多いのではないでしょうか?(下の画像の右の例)

 

しかし、運指オルタは切り替えのタイミングが全てのノーツにあるので、縦に認識していると指が離れづらかったり、まとめて押してしまったりします。

そうならないように、ノーツをひと粒ずつ見てリズム通りに押していくことが求められます。(下の画像の左の例)

(他のゲームで「横認識」と呼ばれているものだと思います)

これができれば運指オルタはマスターしたも同然です。

 

コツは判定ラインを見ること…かな?僕の場合はそうです。

おそらく、判定ラインを見る→視界が狭くなる→ノーツが前後の文脈から切り離されて見えるようになる、というロジックだと思います。

ただ、これも個人差があると思うので、色んな曲をプレイしながら、自分なりに「ノーツが粒立って見えるようになる」ような認識を練習してみてください。

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慣れてくると、粒が浮いて見えるようになります

4,おすすめの練習方法

いろいろ書いてきましたが、結局何やればいいの?という方のために。

・動画を撮って自分のプレイを省みる

・キービーム出して自分のプレイを省みる

・いろいろな曲をやってみる、オプションも(ランダム、スパ乱問わず)試してみる

これに尽きると思います。

 

そして、あまりおすすめしない練習方法は「特攻」です。

このゲームは出来る成功体験の積み重ねでうまくなっていきます。一箇所も出来ない曲を何度もプレイしても、悪い指の動かし方が身につくだけです。

上手くプレイできるギリギリのライン(A判やS判が出るくらい)を練習するといいでしょう。

 

5,終わりに

色々書いてみましたが、参考になりましたでしょうか?

譜面サイトが消えていて、自分で動画を撮ることも叶わなかったので、画像が手書きでごめんなさい。

皆さんのスキルが500くらい伸びると嬉しいです。

そして僕は結局早い運指オルタの左手の動かし方が全然わからない(フィジカル的にきつそう)ので、誰か高速運指オルタのコツとか知ってたら教えて下さい。

 

質問やアドバイス、気付きなどありましたらお気軽にコメントください。

では、みなさん良い5月を。ごきげんよう

 

将棋のような音楽ゲーム。

※とりとめのない文章です

 

うちの兄は今、将棋にハマっている。

我が家ではゲームは嫌われもので、だから僕はいつも冷遇されてたんだけれど、将棋もゲームじゃん!

晩御飯の時に、なんでゲームは駄目で将棋はいいのか聞いてみた。

 

兄いわく、「将棋には昔から変わらない良さがある」「カードゲームは追加とかがあって変わるから嫌」「運で負けたくない」だそうだ。結構納得してしまった。

 

確かに、将棋はアプデが来て金がプラチナに成ったりはしない。コマのプールが三ヶ月に一回一新されることもない。

数百年変わらぬルールでありながら、流行の戦略や新しい型の開発を繰り返して現在まで親しまれる将棋だからこそ、兄は好きらしい。

 

さて、どうしてカードゲームは追加があるのだろう?

僕は素人だからあまり深いことは言えないけれど、「消費者に刺激を与え、飽きさせないようにするため」「新しいパックを売るため」あたりが理由なのではなかろうか。

この「刺激を与える」という理由は、時にはカードパワーのインフレにつながる。

より派手な効果や強いカードは、ユーザーを一時的に興奮させる一方で、より強い刺激を求めるようにも仕向けてしまう。

もちろんパックは売れるが、いつか刺激に限界が来て、サービスを終了させてしまうゲームも多いだろう。

 

 

音楽ゲームのアプデ

さて、音楽ゲームはどうだろうか?どのようにしてユーザーを飽きさせないようにしているだろう?

・新曲を出す(週1,月1)

・新バージョンを出して、新しい操作とかを取り入れる(年1とか)

・新しい音楽ゲームをリリースする(数年に1回とか)

 

ぱっと思いつくものはこのあたりである。(他に思いついたら教えて下さい)

新曲追加は、殆どのゲームで行われている。新しい譜面はもちろん誰もやったことがないので、新たなやりこみ要素としてプレイヤーに刺激を与えるだろう。

いわゆる「ボス曲」を追加することによって、かっこよさと難しさを兼ね備えたその曲は初心者の憧れとなり、上級者の攻略の対象となるだろう。

決まったボタンを押すことに慣れてしまった人たちも、新しくデバイスを搭載したり、新しい操作を導入することによって、新たな難しさを見出す。

あるゲームで行き詰まりを感じてしまった人たちも、新しい音楽ゲームは全く違う操作や画面、キャラや曲が待っていて、1からの実力で成長する事ができる。

 

 

ただ、ポップンやボルテのように、楽曲が溢れている機種もあって、新曲が刺激となっているかは微妙なところでもある。

最初はガンガン曲を追加するべきだが、飽和している機種に関してはまた違うアプローチが必要かもしれない。

そして僕に限って言えば、刺激に疲れてきている。

新しい音ゲーを始めることもほぼないし、ロングノーツとかの追加要素も大体不満に思う派だった。(年かもしれないけど)

解禁無職とかいう人々はすごいと思う。

 

音楽ゲームを将棋のように楽しむには?

グダグダ書いてきたけど疲れてきたので結論に近づけていく。

刺激は繰り返されると慣れ、飽きていく。

これに対抗するには、違う種類の刺激を与えるか、刺激以外のじんわりとした魅力を作るかの2つの選択肢があると思う。

 

おそらく現在の音楽ゲームは前者を選択している。新しいイベント、新しい曲、新しいデバイス……音楽ゲームはソシャゲのような、いわゆる「終わりのないゲーム」であり、そういった更新のやり方が普通なのかもしれない。

 

でも、もし音楽ゲームが将棋のように、変化がないからこそ楽しめるようなゲームになったら…… 長く愛されるようなコンテンツになるかもしれないな。

 

現実的な問題はたくさんあるだろうし、机上の空論なのは分かっている。

「将棋のような音楽ゲームがあったらいいな」という記事でした。

 

音ゲーを続けるために。

音楽ゲームは上達がすべて。

音楽ゲームは楽しむのがすべて。

音楽ゲームは音楽がすべて。

音楽ゲーム神ゲー

音楽ゲームはクソ。

音楽ゲームは暇つぶし。

僕たちが普段遊ぶ「音楽ゲーム」というものは、世界共通の、たった一つのゲームの形なのに、僕たちは一人ひとり、違う受け取り方をしている。

 

それぞれの考え方は尊重されるべきだし、音ゲーの向き合い方(もしくは向き合わなさ)は人それぞれ違って当然のものだ。でも、僕が改めて言いたいのは、「音ゲーに何を求めているのか」も人それぞれだということだ。

(いや、当たり前だけど)

 

音ゲーが上手くなりたいから音ゲーしてる人もいるし、音ゲーが楽しいから音ゲーしてる人もいる。もちろん、音ゲーがつまらないからしてない人もいるし、音ゲーがつまらないけど一生やってる人もいる。

何を目指しているかによって求めているもの、大切にしているものは変わってくる。

 

改めて、僕は何を目指してゲームしてるんだろう?何を大切にしているのだろう?
前フリが長くなってしまったけれど、自分の本音を少し書いてみたい。

(個人の話ですし、ほぼチラシの裏です) 

音楽ゲーム、なぜ遊ぶ?

 1,好きな音楽に合わせてボタンを押すだけで楽しい

僕はボタンを押すのが好きだ。もはや動物的本能。イライラしているとき、ボタンをしばくとスッキリするのも、この感覚だろう。

 

2,達成する喜び

自分が半ば恐れている音ゲーの魅力。

音楽ゲームはよく出来ている。何回か繰り返せば誰でも出来るようになっているし、ほどいい目安がたくさんある。ビートマニアで言えば段位合格、ハードクリア、鳥A、フルコンボ。他にも2000点とか、段位平均とか、ちょっと嬉しい水準がいくつもある。

未達成の実績を実力を上げて達成していく。もしかするとこれは、音楽ゲームの最も魅力的な一面かもしれない。

 

出来なかったことが出来るようになるという刺激は、脳みそのめちゃくちゃ気持ちいい部位にダイレクトにアクセスしてくる。初めて〇〇をハードクリアした、フルコンした、鳥Aを出した‥自分が到達したことのない領域に、初めて足を踏み入れた時の快感を知ってしまったら、もうやめることは出来ない。現在の音楽ゲームのヘビーユーザーたちは、自覚のあるなしはともかく、この快感にハマって続けているのではないだろうか。

 

さて、なぜ自分がこの気持ちよさを恐れているのか。

それは、「その達成感は難しさと比例するが、頻度は難しさ故に減るから」である。

その挑戦が自分の実力のギリギリのラインで設定されているからこそ、達成して嬉しいのである。

トイコンを初めてクリアした日、僕は嬉しすぎて終電を逃した。(懐かしい)

でも、気づけば当たり前にクリアできるようになって、喜びもどんどん減っていく。

(いや、結構嬉しいから何度も選曲してるんだけどね)

スコアも思ったように伸びず、気づけば足が遠のいてしまった。

(これにはもっといろんな理由があるので、また機会があれば書きます)

 

何が言いたいかというと、この達成感は、快感や魅力と反比例して、どんどん回数が減っていくということだ。快楽の中毒になると、「達成」というこの音楽ゲームの魅力は一転して、自分を苦しめる鎖になってしまう。

 

 

3,自己顕示欲

リザルトを撮影して、ツイッターに上げて、ふぁぼられる喜び。

これがなかったらこんなにハマってなかったと思う。ライバルや、自分よりうまい人に「お、うまいな」と思わせるために頑張る、って側面も間違いなくある。

SNSは不特定多数に見せることが出来る点で、自己顕示欲とめちゃめちゃ相性がいい。

 

 

4,ライバル、先輩後輩、友人の存在

自己顕示欲と近いけれど、ゲームに真摯な自分を認めてくれる、ゲームに真摯なライバル。彼らから僕は「まだ上手くなれる」ということを学んだ。

掛け値なしにかわいがってくれる先輩と、慕ってくれる後輩。

結果が出なくても認めてくれる彼らの存在は、スランプだった僕の一番の支えになっていたと思う。

 

 

5,使命感

俺の人生をかけて10年近くゲームしてるからこそ、この人生を正解にしなければならないという使命感。伝わる?笑

 

 

だいたいこんな感じ。ゲームそのものの魅力、それを取り囲む人の魅力。それに取り憑かれて、支えられて、僕はゲームを続けている。(大げさですが)

 

 

ゲームを長く続けるには? 

皆さんは音楽ゲームをやめたいと思ったことはありますか?

僕は何度もあって、改めて今考えるとその理由は大体、上のモチベーションの裏返しのようなことだった。

 

スランプが数カ月続いて辛い、という例は、2,達成する喜び が実感できないから辛くなっている。

人と比べて成長速度が遅くて…という例は、4,自分を認めてくれる存在 が自分のことを見てくれないと感じているから辛くなっているのだろう。3,自己顕示欲 が満たせないということでもあるかもしれない。

 

制約は時に、上達を早める。しかし、(ハンターハンターよろしく)制約は、上手く行かなかった時に自分に跳ね返ってくる。

「俺には上達しかねえ!」と思って頑張っても結果につながらなかったり、人にあっさりと抜かれて否定されたような気になったりする。そんな時、僕は本気でゲームをやめたくなる。

 

でも、こういう時こそ自分はゲームの他の魅力に「逃げる」ことが大切じゃないか?

スコアが伸びないときは人と遊んだりして、普段選ばない曲を選んでエンジョイする。

ライバルと悪い意味で比較しすぎないようにする、ライバルを変える。

ちょっとゲームから距離を置くのも、正解だと思う。(離れすぎで起こるスランプの絶望に注意!)

ゲームという、一見優しいように見えて厳しい世界に、潰されないように自分を守らなければいけないと思う。

 

「上手くなるから続ける」んじゃなくて、「続けるから上手くなる」。

続ける理由に上達を絡めてしまうと、いつか自分がやめてしまう、決定的な理由になっちゃう気がする。 

 

音楽ゲームの上達のコツを、僕がこっそり教えます。

それは、最終的にやめないこと。

ドルチェよりは上手くなれないかもしれないけれど、それでも僕はもうしばらく続けるよ。

 

 

みなさんもぜひ、「なんでゲームを続けるのか?」「どうしたらゲームを長く続けられるのか?」考えてみてください。

 

あたかも